照光寺は、應仁二年(1468年)近江源氏の始祖、源扶義卿より十九世の子孫である、花木吉成によって創立された寺院です。
鎌倉時代の宝治元年(1247年)に佐々木信治が戦功によってこの地に住み、北條時頼公の上洛の途次に、信治の館舎(當寺)に停留の時、庭前の櫻花を愛観され、自ら扇子に櫻花を載せ、信治に与えてこれを家紋とし、また佐々木を改めて花木を姓とすべきと命じられました。
室町時代、もともとは武士であった吉成が、文正元年(1466年)本願寺第八世・蓮如上人(慧燈大師)が山門僧兵の難を逃れて、當地に来られた際に出遭い、蓮如上人の高徳を慕って弟子となり、光國坊了明という法名を賜り、常に蓮如上人のそばで大いに蓮如上人の化導を助け、蓮如上人が北越に還させられた後は、専ら面授口決の宗義を弘め、遂に花木寺を創立するに至りました。
永正八年(1507年)、嗣子了欽のとき、本願寺第九世・寶如上人より、父光國坊、宗義の宣布の功を賞し、宗祖・親鸞聖人(見真大師)の真影と、照光寺の寺号を賜り、花木山・照光寺となりました。
花木山・照光寺 十七代住職 花木 憲雄 書 より
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